京都府少林寺拳法振興会について

 京都府少林寺拳法振興会について

 京都府少林寺拳法振興会は、自己確立と自他共楽を理念として、人づくりとそれによる平和で豊かな国づくりをめざす少林寺拳法の振興発展を目的として、1981年12月に設立されたものである。

 ことの起こりは1980年5月12日に、この道の創始者宗道臣が逝去し、全国の拳士が悲嘆と失意の底に沈んでいた時に、ささやかながら応援するので、こんな時にこそ頑張れ!との激励が、外部の団体の有志から寄せられたことに始まる。

 外部の団体とは、京都鴨川ライオンズクラブである。ライオンズクラブは、いうまでもなく世界最大の社会奉仕団体であるが、日本国内のクラブの、わけても京都鴨川ライオンズクラブは、固い絆で結ばれた仲間による強いチームワークで奉仕活動を実践されていることでその名が高い。そして有志とは、そのクラブに所属されている少林寺拳法の有段者である高野昭氏と、同じクラブの少林寺拳法の拳士である川上徹氏、鈴村英夫氏であった。この方々は、ライオンズの理念と少林寺拳法の理念が一致していることから、かねてより何らかの形でライオンズの志で少林寺拳法の発展に寄与できないものか、と話し合っておられたと聞く。そして創始者が亡くなり、全国の少林寺拳法の拳士が意気消沈している時に、今だ、と立ち上がられたのである。同クラブ内の志のある人たちに少林寺拳法の理念を説明して、少林寺拳法による青少年の健全育成への支援を呼びかける一方で、京都府連盟に声をかけられたのである。連盟はこの申し出を受けて、翌1981年5月に開催した開祖追悼の京都府大会を見学していただくことになった。当日見学された方々は、聞いていた理念通りの、はつらつと演武する青少年の拳士の姿を目の当たりにされて、たちまち主旨に賛同され、12月の京都府少林寺拳法振興会の設立に至ったのである。

 今日までの長い歳月には、先頭に立って支援された初代会長曽根久郎氏、二代目会長中井長一氏、そして振興会設立時の発起人の一人であり、連盟会長として連盟も指導して頂いていた内田清一氏が逝去されるなどの悲しみもあったが、すぐに振興会三代目会長だった高野昭氏が内田氏の後を受けて京都府連盟会長に就任されると、四代目振興会会長に小野俊一氏が就任されるなど喜びも多く、連盟と振興会は密接に連携を保って目的に向かって邁進しているのである。

支援をいただく資金は、毎年一回一口5000円の会員募集により集められた会費である。会員は、一般拳士や子供拳士の保護者の方々もあるが、その多くが、振興会の役員である京都鴨川ライオンズクラブの有志の方々が広く知己友人に協賛を依頼されて、それに快く応じられた方々であり、顔も名前も知らない篤志の方々であるのも、この振興会の特徴である。

 京都に少林寺拳法の種が播かれたのは、1961年(昭和36年)12月に、創始者宗道臣自らの手で建立された京都別院であるが、その建立にかかる費用は、少林寺拳法の理念、とりわけ青少年の健全育成に共鳴された法輪寺住職後藤伊山老師による、寺の境内の無償提供と、信徒坂口繁蔵夫妻による道場建設費用一切の負担、という篤志と気高い心意気によるものである。このことと、それから20年の歳月を経て、創始者宗道臣の死により拳士が意気消沈しているのを見ていち早く立ち上がり、少林寺拳法を支援する振興会が設立されたこととは、あながち無関係ではないだろう。それは少林寺拳法の理念が、誰もが認める真理であり、創始者宗道臣の教えに共感した拳士達の熱心な実践活動によるものだと思うが、千年の都京都に底流する、人の道を大切にする、もの静かだが気高い京都人の心意気によるものでもあるだろう。京都府連盟がこの支援に応えるには、支援者の方々に勝るとも劣らない心意気で、ひたすら青少年の健全育成の道に邁進することに尽きるのである。